両親が離婚するまでの記憶
普段からケンカが耐えない両親だった。
厳しすぎる母、子育てに興味ない父、
兄は唯一共通の趣味のゲームを通して
親子の交流が出来てた。
私だけが和に入れてない状態で
いつも一歩後ろにいる感じだった。
叱られる時は平手打ちは当たり前だった。
たまに玄関先に正座もあった。
祖母や親戚に学んだことを話したら
怒鳴られることもあった。
そして必ず
「○○さんの子になればいいじゃない!!あんたなんかいらない!!」
と言われてた。
私は小学生になってから
怒鳴り声が苦手で体が硬直するようになった。
いつからか怒られたら何も答えれなくなった。
小学二年のときに
いとこの母親(父の姉)が亡くなり、
うちで引き取ることになった。
母は前よりも感情的に怒るし
近所の人ともうまくいかなくなった。
父は何かあれば近所の人に
いとこの悪口をいうようになった。
突然、母が記憶喪失になり、
躁鬱と診断された。
母が入院中の時、
父は私たち兄弟よりも仕事優先の上に
なかなかすぐには帰ってきてくれなかった。
いつも夕飯は大家さんの家だった。
いとこは施設に行くことになった。
離婚の原因は父の不倫と父が医師の説明を聞かず、非協力的だったために離婚した。
私は母と暮らすことを決めた。
小学四年生の私は、
その後に地獄が待ってるとは知らなかった。
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