自由な空~ACを乗り越える~

心の整理としてAC克服できるまで書いてみようと思いました。

高校、部活、得られたものはひとつだけ

高校生になった私は

最初は電車通学してたが

定期券を買ってもらえなくなったため

隣のひとつ上の先輩からもらった

自転車で約1時間かけて通うようになった。

母に車で送り迎えされるのが嫌だった。


部活は吹奏楽部に入った。

小さい頃にピアノしてたけど

楽譜読むのに苦戦した。

フルートなので音符の位置が

ピアノよりも上の方だし

五線譜の上の音符はすぐに読めなかった。

でもすごく没頭してた。


1年の頃、財布を盗まれた。

犯人は同じ部活仲間で同じクラスの人。

中学は一緒だったけど話すことがなかった。

この人は私のものをよく欲しがった。

折りたたみの自転車もあげたっけ。

部活をサボり気味で上達しなかったから

コンクールに出場させてもらえず

素人の私が出れるのを妬んだらしい。

私がいた高校の吹奏楽部は

少人数のため真面目にしとけば

誰でも出れた。

よくサボってるのを顧問が気づき

出場させないと決めたのは顧問だった。

謝罪はあったがそのあとが地獄。


財布を盗まれたこと、犯人のこと、

口止めされた。

犯人も反省してるし、

犯人は謹慎をずっと受けてるため。


しかし、

それが仇になった。

謹慎になったのは私のせいで

私が嘘をついたから、

本当は私が謹慎を受けるべきと

犯人が言いふらした。


私は先生との約束で口を閉ざしてた。

そのため、私には敵しかいなくなった。


部活でも少し同級生と話せたが、

ほとんどの人から避けられた。

私は厚かましいと。


高3の時、

ビッコロとフルート掛け持ちのことも

先輩が口出しして決まらず、

今年で最後だからと顧問が変わったあと

後輩を説得して、かけ持ちしようとした時

同級生により後輩がすることに。

先生は2人で練習してオーディションをすると

言ったけど、

オーディションしても不公平にされるからと

誰も私のこと認めてないからと言って

後輩に譲った。

そのためか後輩は調子乗って

好き勝手するようになった。

まともにパー練しないし

みんなは私抜きで全員で合奏するしで

部活が辛くなった。


当時新しく入った子をどうしても

コンクールに出れるようにするため

必死になって空回りしてたのかも。


先生がいない時の合奏で

苦手なとこを

総攻撃みたいに

ほとんどの人から

「下手くそ」「それでもパーリーかよ」「3年生のくせに」「そもそも音おかしい」「真面目にやってくれ迷惑」「なんでそんな下手くそなんだ」「後輩の方がうまいとか」

好きかって言われた。

それで音楽室さえ入れなくなった。

部活に関係ない授業でも

突然泣き出して授業さえ無理になった。


顧問の先生は

まだ高校に来て1年目で

部活メンバーからはあまり好かれてなかった。

でも、

先生は一人一人に向き合おうとしてた。

そんな時に私が音楽室に入れない状態になった。

先生と個別で話した。

「こういうことがあって楽器が怖い」

と言ったら、

「落ち着くまで授業も部活も休んでいいよ。

いつまでも待ってるから。私さんが人一倍努力してるのは先生が知ってる。先生はあなたの優しい音色が大好きよ。しっかり新人に教えるために、自分の時間を割いてることも、時間外にたくさん練習してることも。ソロはあなたの好きなように演奏しなさい。心から楽しめるようになるまで先生は見守るから」

と、言われた。

それから1ヶ月ほど休んだ。

授業は保健室にいた。

その間に先生はメンバーと

話をしたらしい。

「吹奏楽は誰かをけ落とすのではなくフォローし合うものだと思う。」

と、先生の考えを話したとか。


久しぶりに部活に戻ったら

何人かが部長がいない時に

謝ってきた。

結局、自分の音はか細く、

合奏の間は涙目で、

震えが止まらない状態で

コンクールに出場。

結果は、銅賞。


元顧問がたまたま見に来てて

終わったあとに部員全員の前で

「私さん、いい音だったぞ!!!!」

と褒められた。


私が3年間部活を頑張れたのは

家に帰りたくないと

2人の顧問のおかげだったと思う。

いろいろあったけど

音楽の楽しさを知ることは出来た。

高校で唯一得られたもの。

幼馴染と自傷と自分

私がリストカットのことを知ったのは

小学6年の頃。

幼馴染のみーちゃんがしてた。

みーちゃんは私に傷を見せ

「リスカしちゃった」と言ってきた。


たまに

「深く切りすぎた」とかで

カットバンを貼ってるのを見せてきた。


私から見たら

みーちゃんはいじめられてないし

家庭も問題ないと思えた。

ある時から

なんでみーちゃんはリスカするの?

いじめられてないし、

家族も仲良いじゃん。

私と違うのに。

と思うようになった。


中学入ってから

みーちゃんとはあまり話してなかったが

同じ部活の子と上手くいかなくなって

いじめが始まった時

初めてカッターでやってしまった。


それからはカッターを持ち歩くようになった。

したくなったらトイレでリスカが

当たり前になった。


家でしてたとき、

母に見つかったことがあった。

母は刃物を取り上げるだけで

私の心に向き合おうとはしなかった。

心の中では母もしてるくせにとしか

思わなかった。

母が包丁でしてるとこ見たからだ。

でも私とは違い

血は出ないし傷もすごく浅いだけ。


それから家ではしなくなって

学校のトイレでするようになった。

家ではたわしを左二の腕に

ひどく擦り付けて傷つけてた。

今もうっすら傷跡がある。


みーちゃんとは高校まで一緒だった。

幼稚園からの付き合いで

私だけがみーちゃんがリスカしてるという

秘密を知ってたため

みーちゃんがリスカしたら

必ず報告しに来る。


高校でもうまくいかなかった私は

またしてしまって

左手首は傷跡が絶えなかった。


みーちゃんは友達とは上手くいってた。

彼氏さんと別れるたびに

傷を見せてきてた気がする。


短大に進学してからは

過呼吸と自傷のセットだった。


親元を離れたおかげか

中学高校の時よりも回数は少なかった。


あることのせいで

短大は卒業出来なかった。

その時も親への憎しみからの自傷。


一人暮らし始めた時

カッターを捨てた。

したくなったらカミソリでしてしまうため

カミソリは

安全ガード付きのしか買わないようにした。

1本だけ安全ガードなしのカミソリがあった。

騒動的にそれでしてしまうこともあった。


今やめれてるのは旦那のおかげだ。

子供たちや義実家のおかげもある。

左手首には白い傷跡がある。

そのためか左手には

いつもヘアゴムをつけるのが癖になった。

母と兄について

母は記憶喪失により父に関する記憶が

全くと言っていいぐらい消えた。


父が家出して久々に帰ってきた時に

「どなたですか?夫は北海道に出張中です」

と言ってた。

次の日に病院に連れていかれ

躁鬱と診断された。


母はもともと手抜きができない人で

掃除は徹底してた。

なにかに集中したら寝る間も惜しんで

作業してしまうほど。


母は子供の頃に

祖母に育てられた。

私からしたら曾祖母にあたる。

相当厳しく育てられたらしい。

多分虐待になるほどだ。


周りに男の子と期待されてたが

母は女の子だったのと

丙午(ひのえうま)ということで

親戚から嫌われてたとか。

そのため、のちのち私も嫌われてた。


曾祖母は私にはまあまあ優しかった。

でも甘えれるのはどっちかというと

父方の祖父母だった気がする。


母は兄妹平等に育てたと言ってたが、

私はそう思えない。


母が男に憧れてるので

無意識に兄待遇の家庭だった。

プレステも私専用のソフトはなかった。

兄のだからだ。


兄は私と違って

人の話を聞かないで結論を出す。

父とそっくり。

自論が正しいと思い込んでる。

世間ではめちゃくちゃずれてるのも知らず

言ってくるから私が諦め、

鵜呑みせざるを得ない。


兄が父の方でどう育ったかは知らないが、

一人暮らしし始めた頃

ホームシックになり私たちと暮らしだした。

6畳の部屋をタンス等で仕切り

2.5畳の部屋で兄は布団を敷きっぱなしでも

部屋が臭くなっても怒らず自由だった。


その代わり私の場合は

勝手に襖を開けられるので

プライバシーなんてなかった。

ちょっと気になることがあれば

グチグチ言われてた。


おじさんも兄はお気に入りで

手のひらを返したかのように優しかった。

おじさんからしたら

お金を持ってくる人だったからだろう。


兄と母は共依存で

今も仲良くしてるらしい。

絶縁したから詳しくは知らない。


私はバツイチ同士仲良くしとけばと

思ってるから別にどうでもいい。


兄が離婚した時は

姪っ子2人のこと気にしたけど

兄の性格上無理だよなと思っただけで

同情する気にも肩を持つ気にもならなかった。


兄は高校中退(父のせい)だし、

職も転々としてるのに

見下されるのは癪に障る。


もともと兄は母と暮らしたかったらしいが

私が母の方に行くと言い出したせいで

クソ親父と暮らすことになったと言ってる。

後から言われてもって感じだが

私に母親取られたと思ってるみたい。